学生気分と思われてしまう若手SEプログラマー

言葉遣いとか、受け身の姿勢とか、そういうのは新人研修と数ヶ月〜1年もOJTしてれば解決する。

自分の後輩を見て感じた、学生気分がぬけてないというのは、違うものだった。

プログラミングや問題管理(の一部)を若手にやらせてると、理解できない行動にでくわすことがある。

例えば、配列から最大値を取得したいときにアルゴリズムのお勉強でならったレトロな処理を実装する。

繰り返し処理のなかで一つずつ要素にアクセスして比較し、より大きい値を見つけて行くあれだ。

わかった。結果は正しい、件数も処理頻度も小さいからシステムとして悪さはしないだろう。
ところで、今まで他の処理をforで書いていた君がなぜここだけwhileにしたんだい?
答えは大抵こうだ。参考にしたサイトにそう書いてあったからか、他の似た機能がそうしていたからだ。

仕様の変更を任せると、変更に関わる機能を新しく作り出すか、元の処理や類似の機能をまるごとコピーしてから書き換えて作り出す。ベテランだってこうする時が多いだろう。
で、この部分は何をしている処理なんだい?
答えはわかりません、もしくは不要でしたか?だ。

詳細仕様を検討していると、検討されていないケースが見つかることがある。
ABCのケースは仕様があり、無とDのケースも考えられるのに、その仕様がない場合だ。彼らの最初の質問はこうだ、「無とDはいらないですよね?」

必要と答えようものなら、あとはフリーズだ。いつまでも解決に至らない。

いくらかして気付いたのは、「彼らは答えがどこかにあって、それが見つかれば解決」だと思っているということだ。

だから、見つけた方法は彼らにとって間違いなく正解だし、見つからなければもう自分の手に負えない負うべきでない難問なのだ。

恐ろしくコピペのつぎはぎだらけのコードも、彼らのロジックでは苦心のすえの快作だ。つなぎあわせて上手く動くか不安と戦いながら完成させたのだ。

どうして、こうなのか。このエントリーを読ませて頂いてはっとした。

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http://d.hatena.ne.jp/repon/touch/20110210/p1

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疑問を解くことが「気持ちいい」と感じるひと。
問題が解けた達成感を「気持ちいい」と感じるひと。

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問題解決という苦しみを解消するのに、刹那的な快楽をえられる解決行動がパターンとして身についていたのだ。

学校という閉じた有限の世界で、テストの問題を解くことで評価が与えられていた彼らは、現実社会が(学校に比べたら)開けた無限の世界であることに気づいていないのだ。

答えはあったとしても遠いところにあり、一歩一歩苦しみながらたどり着くか、自ら道筋を作り答えを産みだすしかない。答えのない問題がゴロゴロあるのが本当の社会で、答えのある世界で準備運動しているのが学校なんだ。

目の前の問題の答え、青い鳥、銀の弾丸がちょっと探せばあると思っているのなら、まだ学生気分が抜けてないってことだ。



*学歴によるかどうかはわからない

ゆとり教育は考える力を身につけさせているかもしれない

*まるで直ぐそこに答えがあったのを見つけたかのように振舞う人は、実際は高速で処理しているだけなので勘違いしない